せんだい演劇工房10-Box

仙台舞台芸術フォーラム オープニングイベントトークセッション

「劇作家は、震災をどのように受け止めたのか」Ⅱ

出演:生田恵、なかじょうのぶ、長谷川孝治 / 武田篤彦
司会:伊藤み弥

 

【二日目】

伊藤 さて、2日目となる今日は、今回上演いただいた作品について具体的にうかがっていこうと思います。まず、初演時と今回(2020年)の上演で何か変わったことはありますか?

 

生田 『はなして』は2011年の8月に初演をしたんですが、当時は完全に一人芝居でした。その頃はまだお客さんにも強い共通体験があったので、芝居の中の言葉は非常に断片的なんですが、それがフックになって記憶を呼び覚ますというか、そういうことで成立していたと思います。物語というよりは記録に近いような形だったかもしれません。今回、久しぶりに上演をするということで、同じ脚本を物語として提示したいと思い、構成を変えました。台本は変えていないんですが、最初に2つシーンを付け加えて、そこに出てきた人たちが、その後も最後まで主人公を見守る構成にしました。

 

なかじょう 『徒然だ』は2015年に初演したんですけど、震災から1年半くらいの時期から台本づくりをしていて、思い返せば、当時はまだ「なんでこんなことになるんだ」という怒りが強かったですね。三陸の海に対して、「なんでこんな風になっちゃったの」って、「なんでなの」「なんでなの」みたいな言葉をただただ、投げかけてるような時期だったんですよ。海の青と空の青の間に、やっぱり、いるんだね、亡くなった方が。海を見てるとそれがありありと分かったんで、じゃあ、舞台に乗っけなきゃ、この人たちはどこに行くんだろうと。そういう想いを、乱暴でもいいから言葉にしなきゃいけないと思って書いていました。それを今改めて見返して、その乱雑な言葉がすごくいいなと。消した言葉もありますけど、その時の言葉は、今の自分をもう一度目覚めさせるためにもそのまま残しました。どこまでも怒っていくおじさんでいいんじゃないかと。

 

長谷川 『壊れる水』は今回、この公演のためだけにオリジナルの脚本を書きました。おそらく今後やることは無いと思います。震災後に「絆」という言葉が流行しましたが、それは一体、誰と誰の絆なんだろうとずっと思っていて。僕はそんなことに深入りはできないので、まず自分から始めようと、自分の物語を書きました。ものの書き方には、人と人の関係性を書く水平的な書き方と、自分を掘り下げていく垂直的な書き方があって、今回は後者の書き方をしました。

 

伊藤 ありがとうございます。それぞれにご自身の作品を語っていただきました。お客様も3本まとめて見るという経験はそうそう無いと思いますが、作家のみなさんも、作品をお互いに見合うという経験もあまり無いと思うので、それぞれご感想やご質問を頂戴したいと思います。まず生田さんの作品についてなかじょうさん、長谷川さんはいかが思われましたか。

 

なかじょう えーとね、やっぱり赤ちゃん出しちゃダメだよ(笑)その手があったかと(笑)あれはもう、このあと誰もできないよね、真似したって言われるし。禁じ手をクリアする手立てってあるんだなと、それだけです、はい(笑)

 

長谷川 それはやっぱりね、赤ちゃんを出すのは禁じ手ですね(笑)赤ちゃんとお母さんが舞台上にいるところから、いきなり物語に入っていく瞬間があったよね。演劇にふっと入っていく瞬間。あれはもう、何物にも代えがたいですよね。その時に「あ、俺は芝居見に来たんだ」と思う。それはとてもいい緊張感でしたね。

 

伊藤 いろいろ言われましたけど、生田さんどうですか(笑)

 

生田恵

 

生田 そうですね、あれをやりたかったんです(笑)今回すごく重要なテーマの一つで。「あの日からの続きの未来」をどうしても提示したくて、お母さんと子どもと一緒に出てもらおうって思ったんですね。私も今、小さい子がいて、以前と同じようなやり方ではお芝居を続けられなくなったんですが、同世代でやってきた仲間がやっぱり近いような環境にいて。子育て中のお母さんて面白いっていうか、すごいんですよ。だからもったいないなと。ぜひ見せたい、見ていただきたいというのもあって、「一緒に出てください」ってオファーをして。もしお子さんが熱を出したら当日ドタキャンしてもいいですって言ってお願いしたんです。ドタキャンしても、稽古で一緒にやってきたことは作品に絶対にいい影響を与えるし。どうしても役者さんは「子どもが熱を出してしまったら迷惑かけるから」と思ってしまうけど、そこは心配しないでくれって言って口説き落として。なので、できてよかったなと。これからもやっていきたいです。

 

伊藤 今日は赤ちゃんがけっこうむずかってましたが、昨日は誰もむずからずスムーズにシーンが進行していました。やっぱり日替わりなんですよね。今日、むずかった赤ちゃんに対してお客さんがすごく反応してて、いっそう舞台と客席の境界線がなくなったなと、私は感じました。
では、のぶさんの作品について、生田さんはどう感じられましたか?

 

生田 さきほど「乱暴な言葉」とおっしゃってたんですけど、私には愛おしさのようなものが強く感じられました。あんまり震災を前面に出さずに、日常があって、そこに喪失感があって。当時から今にいたるまで時間が経っているからこそなのかもしれないですけど、悲しみや怒りよりも温かさのようなものを感じて、そこが素敵だなと思って見ていました。

 

長谷川 役者が立ちながら、みんな台本のページを繰ってるよね。「台本を読んでるんだろうな」と思って見ながら、いきなり、本当はちゃんとセリフが入ってるって分かる瞬間があったらいいなと思いましたね。その瞬間を見たかった。それをやると、お客さんが「ほんとは覚えてるんだ!」ってなるじゃない。そういうのもあっていいのかなと思いました。で、相変わらずよく分からないですね(笑)僕が一番好きなのは、石川裕人がやるような大扉がダーンと開いて、バーンと花火が上がって、波がザッパーンって起きるような感じなんだけど、その大扉からがさがさがさ…って出てくる(笑)あの脱力感はないよね。あれはのぶさんにしかできない。俺にはできない。褒めてるんですよ、もちろん。

 

なかじょう ほんとに何も言い返す術もありませんし、自分自身をフォローする言葉もありませんし、温かい目でこれからも見守って欲しいと思います(笑)

 

なかじょうのぶ

 

伊藤 ありがとうございます(笑)それでは長谷川さんの『壊れる水』についてお二人はどう思われましたか。

 

なかじょう 私、弘前劇場さんには役者として何作か客演してるんですけど、わりと言葉を包むというか、ラッピングするところがあるんですよね。だけど、今日は見てて、けっこう言葉をハンマーで叩いてるな、という感じがしましたね。それと、彫金するようにちょこちょこ、目立たないところに言葉を入れたり、はめこんだりしてて、へー、と思って。言葉と映像と音楽が合わさって、波のように遊んでるんだよね。どんどん深くなっていく感じで。こんな微調整ができる繊細な人だったんだなって初めて気がつきました(笑)

 

生田 私は昔から見させていただいていて……言葉の使い方とか、個人的に好きすぎて感想を言いにくいんですけど(笑)言葉がすごく素敵なのに、本当に言いたいことは言葉で伝えないみたいな。写真や音楽の存在感もすごかったんですけど、今回いちばん驚いたのは、どんどん長谷川さん自身の中に私が入っていくような感覚があって。他人の中に入り込んでいくというのが衝撃体験でした。

 

伊藤 ありがとうございます。お二方の感想をお聞きになって、長谷川さんはいかがでしょうか。

 

長谷川孝二

 

長谷川 ありがとうございます。何を言うかなかなか難しいんですけど、津波という大きな体験があって、それから原発の問題はこれからまだ続くわけですよね。それは距離のあるなしではなくて、僕たちみんなにとってすごく近いところにある問題だということです。それはずっと意識しています。
もう一つはですね、今の若い俳優さんたちは、2行しか自分の話をできないんですよ。これはメールとSNSの影響です。2行以上になると自分の思考が発揮できない。そうなると文学を誰も理解できなくなるので、これは非常に困ったことです。文学というのは、人生にとって非常に大事なものだと僕は思うんですね。じゃあ活字を読まなきゃダメだということで、あえて舞台の上に明朝体のテキストを出したりしているんです。
それと、ドラマリーディングという形は新しいものではなくて、実はもう25年くらいやり続けています。青森県立美術館でドラマリーディングクラブというのをやってまして、60〜70歳の人が鴨長明をやったり、太宰も漱石も、映像とか文字とか写真を使ってやるんです。僕は、ドラマリーディングは立派な一つの作品だと思って作っています。

 

伊藤 今、文学というキーワードが出て来たんですが、第二次世界大戦後、いわゆる戦争文学が台頭してきたのは10年過ぎた後だと聞きました。そうすると、震災でも10年目以降が文学や劇作家の出番かもしれないと思うのですがいかがでしょうか。

 

なかじょう 「時間軸で区切るって何だろう?」というのは一つ引っかかってるところですね。何周年何十周年ということじゃなくて、抱えた想いを言葉にできていない人にはまだ1年も経っていないのかもしれない。もうとにかくずっと引きずっていくべきものだと思ってるので、僕は時間軸は意識してませんね。

 

伊藤 常に現在進行形であるということですね。実はここに今朝の朝刊を持って来ました。河北新報には「東日本大震災死者数」が今も毎日載っているんですが、今日は行方不明者数2529人と書いてあります。この数字からも現在進行形であることがはっきり分かりますし、ここに「かえりびな」の記事があって、「帰ってこい」と思っていらっしゃる人が今もたくさんいることがここでも分かります。3本同時に拝見した時に、なんというか、それぞれの作品がオーバーラップする感覚がありました。たとえば被災の境界線の曖昧さだったり、静けさのようなものがそれぞれにありました。なかじょうさんの作品は「徒然だ」というタイトルですが、大正生まれの私の祖母あたりは「退屈だな」という意味で日常的に使っていた言葉です。長谷川さんの『壊れる水』の中でも、「死者があっちで退屈だ」というような話が出てきて、まるで一つの作品であるかのように感じたんですね。
それと、『徒然だ』の中で「なぞると物語がくっついてきちゃって」というセリフがあり、昨日も長谷川さんから「物語が必要だ」というお言葉がありました。物語を作るということについてはどうお考えですか?

 

なかじょう 芝居を通して思い出すことで、亡くなった人の物語が生まれることは意識していますね。山形に、幼児期に亡くなった人が生きていれば年ごろになる頃に、その方を人形と結婚させる風習があります。写真と人形をお見合いさせて、結婚させて奉納する。それは、思い出すことによって亡くなった人の物語を作っているのだと思います。作品の背景としては、そんなイメージをちょっとお借りしています。

 

長谷川 フランス語で歴史と物語はほとんど同じ言葉なんです。だから津波のその後、原発事故のその後の物語をしっかり作っていかないと、別な物語を歴史にされてしまいます。だからとても危機感を持って物語を作らないといけないと思っています。物語の土台はどこにあるのかというと、決して政治ではなく、ここで暮らしている我々自身にあります。そういうものを一つ一つ紡いでいくことは、これからとても大事になると僕は思います。物語って生きてる人の数だけあるので、テレビや映画で大衆受けするように単純化するのも大事なんだけれど、もっと一人ひとりの、それぞれの物語が拮抗して新しい価値観が生まれてくるところまで持っていきたいんですね、僕は。今日出ていたモノクロの写真を撮ったのは、一緒に出ていた高橋淳なんですけれども、僕は戯曲の言葉を説明するような写真は求めないんです。それぞれの感性がぶつかり合うことによって、見ている人も各々違う物語を受け取るんですよね。とても言葉は足りないですが、そんな風に考えています。

 

伊藤 ありがとうございます。最後に、みなさんが演劇という手法を信じる、あるいは手放さない理由をお聞かせください。

 

生田 私にとっては演劇は生きていくことそのものです。芝居をやっていないと自分が自分じゃなくなっちゃうんですよ。自分自身が生きていくために演劇がものすごく重要です。それと、ここで演劇をやることで、地域の人たちに寄り添っていきたい気持ちがあります。10年経っても、ずっと抱えている思いがある。そういうところに寄り添っていけるのが演劇かなと。被災直後は演劇どころではない状況もありましたが、何年経ってもずっと寄り添って物語を紡いでいくことが、地域の演劇人としてできることではないかと思っています。

 

なかじょう 僕は演劇を手離しちゃうと社会的な脱落者になりかねないのでしがみついている面もありますけれども(笑)劇団員と一緒に稽古して、その人の人生を垣間見たり、その言葉を僕が変換して返したりっていう作業が大好きなので、関われるならずっと続けていきたいですね。

 

長谷川 とても難しい問題で、うーん……僕の場合は、演劇が無いと生きていけないかというと、そうでもないです。職業にしているので今までやってきましたが、僕の人生には音楽であるとか美術であるとか哲学であるとか、ほかの物事もいっぱいありますので。演劇という表現形態はとても優れているので、自分の美意識を表現するには一番いいと思っていますが、生きることは別な部分でやっている気がします。

 

伊藤 根本的な問いにお答えいただいて、お聞きいただいているみなさんにもいろいろ響くところがあったのではないかと思います。
さて、お時間も迫ってまいりました。仙台舞台芸術フォーラムは、岩手、宮城、福島そして東京のアドバイザーの方に見守っていただいております。今日は客席にそのお一人である武田さんがいらっしゃるので、お言葉を頂戴したいと思います。

 

武田 こんばんは、武田と申します。昨日今日と拝見した舞台と、事前インタビューでみなさんがお答えになっていた内容から感想を述べたいんですが、みなさん震災を受けて「言葉を失った」というのがすごく印象的でした。長谷川さんのパネルに「劇作家にとって生きるべき世界を無くしたも同じ」とありましたが、まさにそんな感じだったのかなと。生田さんも「何も書けなかった」とおっしゃってましたよね。たとえば音楽の人たちは2週間後くらいには慰問に行ったり、すぐ動き出せても、演劇の方たちは本当に大変だっただろうと思います。一方でなかじょうさんは、避難所で毛布にくるまっている人たちの前で何ができるんだろうと思った、と。その人たちと向き合うことが本当の観客論なんじゃないかとおっしゃっていて。被災地の小学校に読み聞かせで回られた時のことも、読み聞かせは単に聞かせることではなく伝えることなんだと。それは受け取ってくれる相手、つまり観客がいて初めて演劇が成り立つということをおっしゃっているのかなと思いました。

 

伊藤 武田さん、ありがとうございました。それでは最後の締めとして、ご来場のみなさまに一言ずつメッセージを頂戴したいと思います。

 

生田 本日はご来場いただきまして誠にありがとうございました。9年経ちますけど、今日みなさんとこの場をともに過ごさせていただいたことを何より嬉しく思います。震災のことはずっとずっと常に隣にあって、やっぱりそれを作品にし続けていきたいので、こういう機会にめぐまれて本当にありがたかったです。

 

なかじょう 今回のように続けて3つの作品を見るのは、お客さんは大変だと思います。でも3作品見てトークもさせていただいて、ほんとに贅沢な時間だなと。私たちもまた、自分と違う視点を知ることで得るものがありました。本当にどうもありがとうございます。

 

長谷川 このような企画を今年を含めて3年間おやりになるということで、ぜひ実りあるものにしていただきたいと思います。実りというのは、今日お話したように、自分たちの歴史を作ることだと思います。ぜひ単純化することに惑わされずに3年間、新しいものを作り続けていただきたいと思います。僕たちを招いていただいて本当にありがとうございました。

 

(2020年2月16日オープニングイベントにて)

(構成・編集:谷津智里)